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努力はダサくない。がんばることを否定しない時代へ

がんばらないほうが「かっこいい」?今どきの価値観に感じる違和感

「逃げてもいい」がスタンダードに?

「逃げてもいい」

そんな言葉が、いま多くの人に受け入れられる時代になりました。
ブラック企業から逃げてもいい、しんどい人間関係から距離を置いてもいい。
誰もが「限界までがんばる」ことを美徳とせず、自分を守ることが最優先だと気づき始めています。

この流れはとても健全で、大切な変化です。
がんばることで心が壊れてしまった人たちの声が、ようやく社会に届いた証でもあるから。
以前は「逃げるなんて弱い人のすること」とされていた価値観が、ようやく見直されてきたのです。

でも一方で、「逃げてもいい」が正しい選択肢として広まることで、「がんばる」ことがまるで間違っているかのように扱われる空気を感じることも。
逃げることも、立ち向かうことも、どちらにも意味があるはずなのに、片方だけが正義のように扱われる――そんな偏りに、モヤモヤを感じてしまうこともあります。

「無理しない」が美徳になった時代

「がんばりすぎない」
「自分を甘やかしてもいい」

そんな言葉もまた、私たちの暮らしに浸透しています。
かつては、「つらくても努力し続ける人」が尊敬されていたのに、今では「いかに頑張らずに生きるか」がセンスよく映るようにも感じます。

これは働き方改革やライフワークバランスの意識が高まったことの表れで、長い目で見れば、とても良い方向性です。

だけど同時に、「無理をしてまで仕事をがんばるなんて、なんかダサい」「なんでそこまで必死なの?」といった空気に、寂しさを感じることもあります。

がんばること自体が否定されているわけではないけれど、がんばる人が少し浮いてしまう――そんな居心地の悪さに、心当たりがある人もいるかもしれません。

それでも、がんばることに価値を感じる私たちがいる

努力にやりがいを感じる人がいてもいい

「がんばらなくてもいい」という言葉が広がる一方で、心のどこかで「私はがんばりたい」と思っている人もいます。

結果が出るまで時間がかかっても、地道に努力することが好きな人。
目標に向かって一歩ずつ前進することにやりがいを感じる人。

そういう生き方にこそ、自分らしさや誇りを見出せる人がいるのです。

でもそんな思いを口にすると、「もっと肩の力を抜いたら?」と言われてしまうこともあります。
本当はがんばっていることを認めてもらいたいのに、なんとなく「必死な人=余裕がない人」という見られ方をしてしまって、ちょっとだけ居場所がないように感じてしまう……。

だけど、がんばることに価値を感じる自分を、誰かにわかってもらえなくても、自分自身が認めてあげられたらそれでいい。
「私にとって努力は意味がある」と思えることが、もうすでにあなたの中の確かな答えです。

必死に生きる人にしか見えない景色がある

がんばることには、たしかに苦しさもつきものです。
うまくいかない日もあるし、努力がすぐには報われないこともあります。
だけど、その過程のなかで出会える感情や景色があります。

たとえば、自分の限界を超えたときに感じる達成感。
仲間と一緒に努力を重ねた先に見える信頼関係。
何かに真剣に向き合ったからこそ得られる、自信や成長――。
それは、がんばった人にしかわからない、特別な宝物です。

誰かに評価されなくても、SNSで「いいね」がもらえなくても、あなたが自分の力で乗り越えたその経験は、何よりもかけがえのないもの。

がんばることって、やっぱりすごくかっこいい。
そう胸を張って言えるような時代になってほしい。
そしてまずは、私たち自身が、自分の努力を認めてあげられるようになれたら――きっとそれが、小さな一歩になるのだと思います。

逃げることも、立ち向かうことも、どちらも間違いじゃない

状況に応じた選択肢があることの大切さ

がんばることが美徳とされる時代から、逃げることが肯定される時代へ――。
私たちは、その大きな価値観の変化の中で生きています。
どちらが正しいとか、どちらが間違いという話ではなく、大切なのは「どちらも選べる自由」があることです。

逃げることが必要なときもあります。
無理を続けたら自分を壊してしまうような環境からは、思いきって距離をとるべきです。
心が限界を超えてしまう前に、「いまはがんばらない」という選択をすることは、立派な自分自身を守る行動です。

一方で、「ここは歯を食いしばってでも越えたい」「この壁は逃げずに向き合いたい」と思える場面もあります。
逃げることを選べる時代だからこそ、立ち向かうことを選んだ人の意思には、よりいっそうの強さと覚悟が込められているように感じます。

どちらも、自分の人生を大切に生きようとする姿勢に変わりはありません。
選ぶのはあくまで「自分」であり、自分にとっての正解は、自分にしかわからないのです。

歯を食いしばって越える壁が、人生に意味をくれる時もある

がんばることにはリスクもあるし、苦しいことも多い。
だけどその一方で、限界を感じたその先に、自分でも知らなかった可能性や力を発見することがあります。

たとえば、新しい環境で必死に踏んばった日々。
人間関係に悩みながらも、誠実に向き合い続けた経験。
何かに夢中になって、寝る間も惜しんで取り組んだ時間……。

そのどれもが、人生のなかで確かな重みを持っていると思いませんか?

あのときがんばったからこそ、今の自分がある。
あの時期を乗り越えた自分に、少しだけ誇りを持てる。
そう思える瞬間が、後からやってくることがあります。

もちろん、いつでもがんばる必要はありません。
だけど、「ここだけは譲れない」「この山だけは越えてみたい」と思ったとき、自分の力を信じて踏み出してみる。
それが、自分の人生に確かな意味を与えてくれることだってあるのです。

がんばるあなたへ。かっこ悪くなんかない

他人の価値観に自分を合わせなくていい

時代がどう変わろうと、流行がどうであろうと、あなたが「がんばりたい」と思う気持ちは、それだけで尊いものです。

周りが「もっと肩の力を抜いていいんだよ」と言っても、自分はこの道を選びたい。
この瞬間を全力で走り抜けたい。
そう感じる心を、誰にも否定させる必要なんてありません。

他人がどんな生き方を選ぼうと、あなたの生き方はあなたのもの。
誰かの「正解」に、自分を無理に合わせなくていい。
がんばることを選ぶあなたの姿は、決してかっこ悪くなんかない。
むしろ、自分に正直で、とても誇らしい。

自分の意志で努力を選ぶその姿勢こそが、何より強く、美しいのです。

「がんばりたい」を素直に肯定するという選択

「もうがんばらなくていいよ」と言われたとき、ふと違和感を覚えるあなたへ。
その違和感は、心の奥でがんばりたいと思っている証拠なのかもしれません。

人にはそれぞれのペースがあり、それぞれのタイミングでがんばる理由があります。
だから、がんばらないことを肯定するように、がんばることもまた、堂々と肯定していいのです。

無理をしているわけじゃない。がんばることが、自分にとって自然な選択だから。
それがあなたの強さであり、あなたらしさです。

疲れたら少し休んで、また前を向いて進めばいい。
がんばることも、休むことも、すべてあなたの人生の一部。
どちらもあなたらしい生き方です。

だから今日も、自分の選んだ努力を誇っていい。
がんばるあなたは、間違いなく、かっこいい。

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